高松地区編 ( 高松町史 高松の礎 )の書から引用しました。
村人はみな美人【若緑・長柄町】
若緑の神社の神様は白い木を彫っただけで彩色は施されていない。
これにあやかって若緑の女の人はみな美しいという。
長柄町の盛土神社では「市杵嶋姫(いちきしまひめ)」という美しい女の神様を祀っている。
その神様にあやかって長柄町に生まれた子はみな美人、長柄町に嫁に来る女性もみな美人になるという。
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イボとリ地蔵【野寺】
野寺の地蔵の前にある小石でイボをこすると、イボがすぐ取れる。
人々はイボが取れたら同じような小石を拾ってきて地蔵の前に置いてお礼をしたという。
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北出のお地蔵さん【高松】
昔、親子三人が乗った船が佐渡に行く途中に嵐にあい、北出の浜に船をよせた。
風がおさまったところ、父親は一人で船を出したが宿に残った子供が急な病で亡くなり
泣き悲しんだ母親も後を追うように死んでしまった。
高松に戻った父親は、二人の死を知ると何も言わずに骨を抱いて去っていった。
村人は母子の供養のため地蔵を立てたという。
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若緑の天狗様【若緑】
若緑の子供達が、大きな椎の木の下で遊んでいた。
そのうち小学校三年生の子が、皆とはなれて一人で山の方へ歩いていった。
夕方になっても帰らないので、村中の人が探しに出かけた。
やっとのことで見つけた所は、大田との村界の山の炭焼き小屋の中であった。
その後、その子の話では「たいそう楽しかった」と、喜んでいたという。
きっと天狗に連れて行かれたのだろうと、村の人達は言っている。
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弁慶の足跡石【夏栗】
夏栗のツツミの中に大きい石がある。それに大きい足跡のくぼみがついている。
これは、弁慶がオハイ山から、飛び降りたときの足跡だという。
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なまやき助よ門【高松】
助よ門が馬を引いて双仲道(現在の南出と木津の境あたり)を歩いていると
いつのまにか馬の背に小僧が乗っており、「すまんけど乗せてって」と言う。
双仲には狐狸(こり)が出ると聞いていた助よ門は、「よしよし」と小僧を縄で巻いて家に連れ帰り
囲炉裏の自在に縛り付けて青松葉をくべていぶした。
小僧は縄を抜けて格子戸から屋根へ上がり「やーい、なまやき助よ門」とはやし立て
屋根のワラを抜いては放りつけて逃げていった。
屋根には大きな穴があき、助よ門はとても悔しがった。
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新村道のきつね【長柄町】
ある夜、村人が新村道を歩いていると松の根っこを持ち上げようとしている人に出会った。
不思議に思って尋ねると、「でかい金のかたまりを持っていこうと思っとるのやが」と答えた。
さてはきつねにだまされているなと思い、ほおを叩いたところはっと我に帰ったという。
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弥三兵衛さんとモンニャ【高松】
ある夜、力自慢の弥三兵衛が浜へ行く道で小僧に出会った。
小僧は、「ものうて歩かれんさかい、ぼんぼしてくたんせ」と言う。
これはモンニャ(ムジナ)に違いないと、ピンときた弥三兵衛はいきなり小僧を背負って
強い力で締め付け、海に放りつけた。モンニャはすきを見て逃げていってしまった。
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瀬戸の町の狐【瀬戸町】
瀬戸の町の正さんという人がどうしたのか池の中へ黙って入っていった。
居合わせた村の人が池からひき上げたが、正さんはぼうっとして正気がなかった。
「きっとこれは、狐にバカにされたに違いない」と言うので、松の根っ子に縛り付けておいた。
正さんが気が付いてから「どうしてあんな池の中へ入っていったがい」と聞いたが「俺も分からん」と言ったと。
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火事を知らす絵馬【八野】
八野のお宮さんの絵馬は、火事のとき村中を飛びまわって知らせてくれた。
そんなとき馬の蹄(ひづめ)にちゃんと泥がついているという。
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がめ市と山犬【内高松】
ある夜、酒好きのがめ市はのどに獣の骨が刺さって困っている山犬に出会った。
がめ市が骨を取ってやると山犬はうれしそうに去っていった。
翌晩山犬が現れ、がめ市を守るように後をついてくる。
「ありがたいことやが、人が恐ろしがって逃げてしもうがいや」とがめ市が言うと
次の日から山犬は人に姿を見られないようにして、がめ市を守ってくれるようになった。
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片目のふな【内高松】
ある日、神様が歩いていると、急に風が吹いてごみが目に入り、目がつぶれてしまった。
気の毒に思った内高松の湖に住むふなは、自分の目を一つ神様に差し上げた。
神様はたいそう喜んだがふなは片目になったという。
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やぶ山のおおかみ【内高松】
なんでも大げさに言う子がいた。
ある日その子はやぶの中からおおかみが三匹飛び出してきたのを見た。
驚いて逃げ帰り、村人に話したが誰にも信じてもらえなかった。
うなり釜【瀬戸町】
瀬戸町の川は澄んでいてきれいだったので、村人は茶碗を洗いに来ていた。
ところがある女が腰巻を洗ったところ、そばに置いてあった釜が急にうなり出し川底深く沈んでいった。
川を汚して神様の怒りに触れたのである。
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お経塚のさむらい【箕打】
箕打の在所の小高い丘の上に経塚がある。その下に三つの横穴が見えている。
佐々成政が末森の役(えき)の時、ここに宝物を埋めていったという。
事実この穴から、古い刀、鏡、瓶、などが出土したことがある。
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八野川のカブソ【八野】
八野の人が、ある夜道を歩いてきて、大川の橋のところへきた。
するとにわかに大そう強い力で、むんずと後から組みついてきたものがあった。
その人は大そう気丈な人だったから、「これぁカブソかムジナに違いない」と思ったので
「おいキサマ正気でやっとることか、放せ」といったら、組みついている手が急にとけて
川の中にドブンと飛び込むものがあったと。 ※カブソ=かわうそ
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もろん坂【野寺】
野寺の山に、モロン坂という坂道がある。
昔そこを通ると、プンプン酒の匂いがしてモロミが湧いていた。
ある男がいつも山仕事に行くと言って、家を出てはモロン坂のモロミを呑んで仕事もせずに家へ帰るのであった。
つれあいがそれを知って、大そう腹を立ててモロン坂へ行き、そこで湯巻を洗ったところ
それから一滴もモロミがでなくなったと。
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和 朝 親 鸞 掛軸の由来(わちょうしんらんかけじくのゆらい)【箕打】
箕打のお講のときに掲げる掛軸に、和朝親鸞上人と記銘してある。
このいわれは、昔ワチョウと言う鳥がいた。この鳥に二羽の小鳥がいたが
一羽は親に似た大変美しい子で、もう一羽はまことに醜い子であった。
この醜い子は親がどんなに可愛がろうとしても一向になついてはくれなかった。
親は何とかしようと手を尽くして見たけれども、やっぱり傍へさえよってくれない。
親はある日醜い子のように顔に泥をぬって近づいて見た。
そうすると、不思議にその子はよろこんで親になつくようになったと言う。
これは、親鸞上人が自分で醜い凡夫の姿になって、凡夫の中へ入り、凡夫をすくわねばおかぬという
有難い、み心から出た、いわれのある掛軸であるという。 村の老婆から聞いた話である。
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サバクタ長次ヤー【高松】
長松爺さんとこの、小さいオジは昼遊びに出たきり夕方になっても
近所の子供達が、家に買える頃になっても帰ってこなかった。
夕飯頃になっても姿を見せなかったので、騒ぎになった。
「きっと天狗に連れられていったに違いない」「天狗につかまされた子供を捜すときにゃサバクタ太郎というふうに
名前の先にサバクタとつけて呼べば出てくる」と言う人もあったので、捜しに出た人達は「サバクタオジー。
サバクタオジー」と叫びながらおじの家の背戸近くにある、とても高い天狗松のてっぺんの梢先に呼びかけたり
人一人も入れるような大きい洞のあるヨシノ株の根方をうかがったりしたが、一向にオジは見つからなかった。
オジと言うのは、この子供の本当の名ではないので、天狗様は出してくれないのだろうと人達が気が付いたのは
随分夜も更けていた頃だったが、誰もオジの本当な名を前々から聞いたことがある者はいなかったので
相変わらず「サバクタオジー。サバクタオジー。」と呼ぶより仕方がなかった。
そのうちやっとオジの本当の名は長次だということが判ったのでそれからは「サバクタ長次。サバクタ長次」と
叫びながら探していくと、近所の木挽納屋の材木を合掌に組んであるその間に、うつろな眼をして
ぼんやりと立っている長次を見つけた。
その時はもう白々と夜が明ける頃だったという。 明治三十年頃、高松にあった話である。
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デデッポッポ【全国的に在る話】
曇りの日の、それも雨が降り出しそうな日にはよく山鳩(キジバト)が、けだるそうな哀調を帯びた声でよく鳴く。
デデッポッポは大そうな親不孝者であった。親の言いつけには一つも従わなかった。
親が東へいったらよい、といえば西へ行き、
南へいって餌を探せばよいといって聞かせれば北へ飛ぶというふうであった。
そんな息子であったので、それを苦にしては母親はとうとう病の床に伏す身となってしまった。
いよいよ母親の臨終が近づいたとき、母親は、デデッポッポを枕辺に呼んで言うのであった。
「私が死んだら川端に埋めてくれ」。母親の気持ちではこう言っておけば
いつも母親の言いつけに反対に動くデデッポッポの事だから、山に埋めてくれるだろうと思った。
母親は息を引きとった。母親と別れてみると、さすがのデデッポッポも母親の言いつけにいつもにそむいた事が
今更になって、悔やまれて仕方がなかった。
そしてせめて母親の臨終の一言だけは守って、今までの不孝を詫びようと母親の言葉通りに涙ながら
川端にそのなきがらを埋めた。
それから後は、雨が振りそうになると、川の水が増して母の流れる事を思い母が恋しくなって
「デデッポッポ、母が恋しい、デデッポッポ、母が恋しい」と鳴くのだと言う。
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